ひとりしきり本文の編集を終えて最後に
「はじめに」を書き始めるところです。
今年で5年目のプロジェクト。
今まで4年間の「はじめに」を振り返りたいと
思います。
コピペ ではなく、改めて読みながら
入力してみました。
何を一番はじめに伝えたいのだろう。
何を届けたいのだろう。
改めて立ち止まって考えています。
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『101年目の母の日〜今、伝えたい想い〜』
「母の日は誰のもの?」
きっとお母さんのためのもの。
でも、その「お母さん」は「生きている」のが前提になってはいませんか?
母の日の起源が、アメリカでアンナ・ジャービスさんが「亡き母を追悼したい」
という想いから、1908年5月10日、教会で白いカーネーションを配ったことに
あります。
この文集では、その母の日の起源に立ち返ります。
お母さんがいないからといって、この日、複雑な想いをひとりで抱え込む必要はない。
一緒にお母さんに想いを馳せる機会にしよう。
そういう想いを、母親を亡くしたわたしたち、プロジェクトのメンバーはいだいています。
もうこの世界には生きていない、亡くなったお母さんにギフトを贈ることは
できなくても、言葉に想いを乗せて届けることはできます。
私たちはこの文集をつくり、そんな想いや声を届ける郵便やさんになりました。
今、あらためてお母さんに伝えたい想いがこの文集にはつまっています。
感謝の気持ちはもちろん、「かなしい」、「くあしい」、「さみしい」
「今でも会いたい」、「あの時伝えられなかった、ごめんなさい」など
それぞれの心の中にある、お赤さんへの素直な「ほんとう」の気持ち。
どうか届きますように。
「101年目の母の日」プロジェクト実行委員会
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『102年目の母の日〜亡き母へのメッセージ〜』
「母の日」はもともと母を亡くした子がはじめたもの。
私は「母の日」の起源を2007年5月に知りました。息を呑みました。
それまで生きている母へのものだと思っていた「母の日」。ところが
原点は亡き母への想いであり、そこに共感した人が共に「母の日」を広めた
ものだったのです。
数年前に母を亡くしている私は、起源を知るまでは「母の日」は「関係のないもの」
として意識したこともありませんでした。母が亡くなる前年、「母の日」に初めて
バッグを贈ったのですが、それは最初で最後の「母の日」にるとおもっていました。
しかし、そうではありませんでした。私の元に「母の日」がもどってきたのです。
母が生きている、生きていないに関係なく、「母の日」をすべての人に届けよう。
そのために母の日の起源を多くの人に伝えようと思いました。亡くした人は、死が
関係を断ち切るものでなく、むしろ亡き母と自分をつなぐ「母の日」を感じられる
のではないかと。亡くしていない人には、死があっての生で、今、目の前に母が
「存在」することをより実感できる機会になるのではと考えました。
2008年「母の日」が100周年を迎えると知り、母を亡くしていた6人の友人に
呼びかけました。
「一人の力は小さいけれど結集すれば、より大きなことができる」
そう思ったのです。7人でただ事実を知ってもらう活動をするのではなく、母を
亡くした人に、文集という「場」をつくることにしました。
悲しみ、怒り、寂しさ、後悔、自責感……どんな感情でも、感じたままのことを
出しても大丈夫な「場」。直接顔は見えずとも文集という「場」を介し、出会い
つながり、深い部分を共有する。そのために母を亡くした人に文集への寄稿を
新聞を通じて呼びかけました。
そうして生まれたのが『101年目の母の日〜今、伝えたい想い〜』です。
和紙をつかい、手刷でつくった文集です。初版500部、計1000部を発行しました。
北は岩手から、南は沖縄までの21歳から80歳の「子ども」たちが40篇の
物語を紡ぎました。
その反響は、私たちの予想を遥かに上回るものでした。
「この先も続けて欲しい」
「この活動をずっと応援していきたいです」
そんな声を受けて立ち上げた企画が本書です。
「より多くのひとに届きますように」との願いをこめて。
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『もし届くならー103年目の母の日』
「おかえり母の日」
「ん?これってなんだろう」と首をかしげたくなるフレーズかもしれません。
今から2年前、母親を亡くした友人たちと『101年目の母の日〜今、伝えたい想い〜』
の文集をつくったときのことでした。
「母親を亡くしてから母のはなくなった。私には関係のない日だと思ってきた。
母の日がわたしのもとに帰ってきたみたいだ」
という言葉をメンバーのひとりから聞きました。
「母の日は母親を亡くした子がはじめたもの」という「原点」を
伝えることで母を亡くした人のもとに母の日をかえせると思いました。
「おかえり母の日」にはそんな想いがこめられています。
一般的に「母の日」は生きているお母さんに花を贈ったり
ありがとうを伝えたりする日の印象が強いかと思います。
そこでわたしたちLive onは母の日の原点を社会に発信し
広めようと考えました。
みな母から生まれ、いつかは母の死を経験する。
母の日の原点を知ることで母が生きている人にとっても
改めて「母の日」「母とわたし」「いのち」について
感じたり、考えたりできるのではないかと思いました。
本プロジェクトを始めた2008年以来、母親が生きている
いないにかかわらず多くの反響をいただきました。
「今生きている母をもっと大事にしようと思った」
「改めて、母を考えるいい機会になった」
「あたたかい気持ちになりました」
「(亡くなってから)母の日が大嫌いだったのに
わたしも素直に気持ちを表現していいのだと
気付かされました」
こうしておかげさまで101年目、102年目と続けてくることができました。
今年の寄稿者の方々からは
「言いたいことはいっぱいあるのに相手はもうどこにもいない
という事実を受けいれてこれからも生きていくために書きました」
「母を亡くした時から今まで生きてきた思いを伝えたいと思いました」
といった声と共に、母への素直な気持ちを文集に寄せていただきました。
かえってきた母の日に寄せられた、ひとつひとつの想い
どうか届きますように。
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『こえて伝えたいー104年目の母の日ー』
母の日の原点からのメッセージ。
それは、生も死もこえて母と子がつながる可能性を伝えているのかもしれません。
「亡くして、はじめて手紙を書きます」
多くの寄稿者の方がそう言葉にされます。
生きているひとには、メールをおくったり、便箋に書いてポストにだしたらい
時には手渡ししたりして、想いを伝えられます。
亡くしても、伝えられなかった想いや、今生まれてくる気持ちを
ありのままに言葉にしたためておくることができたら…。
そんな想いから、母親を亡くした子からはじまった母の日の原点を
大事にした本プロジェクト。おかげさまで今年で4年目を迎えました。
手紙をくださった方の中には
「母と他界して16年にもなるのに、正直、心が癒えていません」
「お母さんの歳をこえてお母さんの分も生き続けているよ」
といった声がありました。
母親の存在が時をこえてあり続けていることを感じさせられます。
「男なんだからしっかりしないと」と男性がなくした想いを
表現することがはばかられたり「もう10年も経ったから立ち直ったね」と
言われることがあったりします。しかし、このプロジェクトの場(本)では
性別も、立場も、歳月も、生も死も「こえて」ゆけるようにという願いを
こめています。
『こえて伝えたい』
ひとつひとつのメッセージがどうか届きますように。
2011年3月11日に起きた東日本大震災はもちろん
毎日のように生まれている多くの死、喪失(グリーフ)
からいつかきっと希望が紡ぎだされますよう祈りを。